【介護を受け入れる勇気と家族の考え】
こんばんは。
きらパパです。
私には、100歳を超える祖母がいます。
と、いう話は、先日も書きました。
今回は、
そんな、祖母を介護する我が家の話です。
既に、祖母は介護施設に入っています。
そんな、祖母も昔はとてもパワフルな人でした。
トイレに女郎蜘蛛🕷が出て時、普通は殺虫剤で
プシュー♬
か、
ホウキ🧹で、エイ‼️💀
というのが普通だが、祖母はティッシュを1枚とり、蜘蛛をブチ‼️💀
魚は、骨までボリボリ🦴食べる。
お肉🍖が大好き‼️
真冬⛄️になると、極寒の海へ行き「海苔かき」。
岩のりを取ってきて、海苔を作る。
ペヤングの麺🍜は、取り出して鍋で煮る。
ペヤングを作るとき、お湯と一緒にタレも入れる。
そして、孫には、時に優しく時に鬼の様に怖い人でした。
そんな、祖母も五年程前にトイレ🚽で転び、足の骨を折ったことから、全ては始まりました。
入院生活をするにあたり、もともと動くのが大好きな祖母が徐々に変わり始めた。
私の親が、祖母の洗濯物を取りに行くと、
「こんなところに、閉じ込めて。私がいないから、スッキリしてるだろ‼️」
と、怒りっぽくなっていった。
かと思えば、
よく来たねぇ。
と、機嫌が良くなる。
その後、容態も良くなってきたが、私の父が
家に帰ってきても、無理をして怪我をするのが落ち。
だったら、安全で直ぐに病院に行ける介護施設に入所した方が、本人にとっても幸せなんじゃないか。と言うことから、介護施設への入所を決めた。
私としては、親が無理のないようにしてくれるのが希望だった。
祖母の面倒をみて、親本人まで体調を崩したら元も子もない。
しかし、周りの親戚、兄弟達は、
可愛そう。
何て、酷いことをするんだ‼️
と、言った。
じゃ、世話をしてみたらと言うと、
長男と長男の嫁が見るのが当たり前だ。
と、逃げる。
自分の親なのに、いざとなったら逃げる。
冷たい人達だなって。
見舞いには来るが、洗濯物の世話など一切しない。
100歳を迎えるにあたり、父からある提案が、あった。
それは、祖母の100歳の誕生日🎉を家で過ごさせてやりたい。
とのこだった。
しかし、私は大反対。
前々から、祖母は家に帰りたい、帰りたいと言っていた。
父は、そんな祖母の望みを叶えてあげたいと思った。
でも、帰っても、また施設に送らないといけない。
父がそれが出来るのか❓と。
結果的に、お祝いは施設でやった。
先週の金曜日に、母から連絡があり、祖母が施設で倒れたのと、病院の先生から、そろそろ覚悟をしてほしいと言われた。と。
怪我はないが、食欲がない。
食べれていない状況とのことだった。
我が家は、受験生がいたため去年は全く行けてない状況だった。
日曜日に、久しぶりに祖母に会うと昔のパワフルな祖母の面影はなく、やせ細った姿が見えた。
歳のせいか、既に痴呆が入り私を見ると
「どなたさん❓」
孫の私の名前を伝える。
「そっちの、おにぃちゃんは誰❓」
ひ孫ほ名前も忘れてる。
次に言われた事が、胸にどかっと重くのっかった。
「帰りたいよ。」
「もう、家に帰りたい」
私は、言葉に詰まり、祖母を見た。
祖母の目には、涙が。
それを、ハンカチで拭う。
どうしようもなく、切なくなった。
父は、こんな祖母を毎回見て、帰してあげないのは悪いことなのか❓
と、葛藤してるに間違いない。
私も、出来れば帰してあげたい。
しかし、帰ってきても怪我をして寝たきりになる。
そして、その介護で両親が疲れ果てていく。
そんな姿は、見たくないのです。
私に出来ることは、親の介護のお手伝い。
時々、子供達を連れて両親を楽しませてあげるしかない。
まだまだ、両親の戦いはあるかも知れない。
そんな、両親を少しでも助けてあげれたらと思った。
介護は、優しさだけではできない。
私は、親に言いました。
まずは、無理しないで。
そして、周囲からいろいろ文句、噂されても負けるな。
そんなのは、綺麗事だけ、いざとなれば逃げ出す奴ら。
今日は、ちょっと重くなりました💦
最後までお付き合い頂きありがとうございます。