【祖母の4回目の元号】
こんばんは。
きらパパです。
決まりましたね。
新元号。
令和
決まり方とかは、もうメディアとかで言われてるので。。
その辺は💦ε-(´∀`; )
皆さんは、何回目の元号ですか❓
私は、昭和なので
3回目
になります。
これでも、凄いこととはわかりますが、
上には上がいます。
私の祖母は、
今年、
大正8年生まれの
100歳‼️
つまり、
4回目の元号‼️
細かくご紹介。
大正
⬇︎
昭和
⬇︎
平成
⬇︎
令和
4回目‼️
回数的には、一回多いけど、昭和が、64年と長いことを考えると驚異的かと思います。
100年前は、何が起きたか調べてみました。
【第1次世界大戦終結】
1914年に起きた第1次世界大戦が五年の歳月経て終結。
きっかけ
サライエボ事件
サライエボにて、オーストリア皇太子とそのお后がセルビアの青年たちによって暗殺された事件。オーストリアは、ドイツの支援を背後にセルビアに対して宣戦布告。これが、セルビアを支援するロシアの動員を招き、第一次世界大戦の発端となった。
【米騒動】
歴史で習った米騒動。
輸出が増え、物価が上がったことにより民衆の生活が苦しくなり、富山発端で米騒動がおきる。
これにより
この結果、寺内内閣が倒れ、1918年初の本格的政党内閣である原敬内閣が誕生したんです。首相自身である原敬自身が衆議院に議席を持つのが当時では珍しかったのです。
第1次大戦、第2次大戦と祖母は、2度の大戦を生き抜いたと思うと凄いと感じる。
今ほど、便利な世の中でもない。
もちろん、テレビ📺、冷蔵庫、電話☎️、洗濯機、車🚗などは、無い不便な時代。
テレビが一般家庭に普及したのは、1963年。
祖母が、44歳の時。
子供時代、青春時代は、テレビなんて物は無い時代。
今考えると、想像もできないですね。
まして、当たり前にある電気‼️
電気普及率が8割超えたのが1927年。
生まれた頃は、電気すら無かった。
今では、当たり前のことが、当たり前では無かった時代。
今、思うと祖母にもっと話を聞いとけば良かった。
昔一度だけ、祖母が言ったことが頭から離れません。
子供の時、六畳の和室で夕飯前に戦争の話を聞きました。
戦争って、どんなだったの❓
第2次世界大戦末期、日本が戦争に負ける前、食べ物もなく、今日を生き抜き、明日を迎えることが毎日の目標だったそうです。
近所の若者が、戦争に向かうため送り出したことは、何度もあるそうです。
そんな時代を生き抜いた祖母は、最後に一言小さな声でこう言いました。
「まさか、こんな時代が来るとは思わなかった」
それは、自分に言ったのか、私達孫に言ったのかわかりません。
ただ、その一言が全てを物語っていると感じました。
「まさか、こんな時代が来るとは思わなかった。」
戦時中には、思いもしなかったでしょう。
次の【令和】。
私は、2人の子供達。
更には、その子供達に、
「こんな時代が来るとは思わなかった」
と、笑顔で、伝えれる時代が来ることを祈ってます。
当たり前のことが、当たり前ではなかった。
これが、
令和
が、終わる頃は、どんな時代になっているのでしょうか❓
楽しみであり不安でもあります。
本日は、100歳の祖母の話を交えて、お伝えしました。
その、祖母も歳のせいもあり昔の話をしてくれるのは難しくなりました。
大人になり、思うことは、面倒くさがらずに耳を傾ければ良かったと後悔しています。
本日も、最後までお付き合い頂きありがとうございます。